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Author Archive for sayama

あれほど嫌だと言ったのに!

数年前、Bさんは交通事故で亡くなりました。

Bさんは生前から「無用な延命治療は絶対嫌だ!」と口癖のように言っており、自身でその旨を文書に残しておいてありました。

事故の一報を聞いた妻のCさんが病院に駆けつけてその文書をすぐ医師に見せたところ、「本当に本人が書いたものとは信用できない」と言われ、さらに、延命を望んだ他の親族の強い意向もあって、Bさんの一番恐れていた2年間にもわたる「植物状態」を経ての逝去でした。

あなた!答えて!

Aさんは夜中に風呂場で倒れて意識を失い、救急車で病院に運ばれました。
医師から「意識が戻る可能性はほとんどありません。人工呼吸器が必要になりますが、どうされますか?またご家族の皆さんはそのような延命治療をお望みですか?」ときかれました。

尊厳死の宣言書は残っていませんでしたが生前からAさんが無用な延命治療を嫌がっていたことを家族は知っていたので医師にその旨を告げましたが、医師から「本当に延命治療はしなくていいんですね?」と何度も念を押されるうちに、結局、逆に延命治療に同意してしまいました。

その後Aさんは意識が戻らないまま半年が経った後、亡くなりました。
妻のBさんは10年経った今も悩み続けています。「あの時の選択は正しかったのだろうか?」「夫をかえって苦しめてしまったのではないか?」…

最期は自宅で...

六十歳のCさんが胃がんで余命三カ月ぐらいと言われたとき、医師に「尊厳死の宣言書」を見せ、「最期は自宅で過ごしたい」という希望を伝えたところ、医師は快く同意し、在宅診療・訪問看護へと変わった。

そして三ヶ月後、Cさんは望みどおり自宅で家族に看取られながら亡くなりました。

ベッドの柵にひもで縛られ...

Eさんには自慢の妹がいます。若いころから「町内一の貴婦人」「才知にあふれ、伝説の原節子の再来」といわれ、地元で着付け教室の先生をしていた妹Fさん(62歳)です。

そのFさんが脳出血で倒れたというのを聞き、病院に駆けつけました。
「意識はおそらく戻らないと思います」と医師。鼻には栄養を入れる管、腕にも薬の点滴用の針が刺されていた。

その5日後、Eさんが病院を訪ね再び妹の姿を見たとき愕然とした。
Fさんの両手は手袋のようなものをはめられ、ベッドの柵にひもで縛られていました。鼻に入れていた管を無意識にはずしてしまうため、それを防ぐためだという。

今現在も、Fさんは脳出血を繰り返し、寝たきりのままである。

せめて一口だけでも...

Hさんは食道がんで亡くなりました。Hさんの最期の願いは大好物の赤福餅を食べることでした。
しかし担当医は最後まで延命治療に力を注ぎ、Hさんの願いは叶うことなく中心静脈栄養を血管から入れられ、絶食状態でした。

見舞客が来るたび必死の形相で何度も文字盤で「赤福をくれ!」とだけ指し、その頬をつたって涙が落ちていました。

もし「尊厳死の宣言書」が前もって提示されていれば...ホスピスに移るなど緩和治療へとうつることができ、大好物の赤福も口にすることができたでしょう。

次男に使い込まれた

68歳のAさんは最近腰痛がひどくなり、そのせいか、外出するのもおっくうになり、次男に通帳を渡して日用品の買い出しを頼みました。
しかしその後、次男は日用品を買うため以外にもお金を勝手におろして使い込んでいたことに気づきました。

【対策】

第三者である専門家(弁護士、司法書士、行政書士等)に財産管理等を委任する契約を結ぶ方法があります。

あるいは身内でも信頼できる他の子供がいればその子供と契約を結ぶ方法もあります。たとえ身内同士でも契約(なるべく公正証書にする)を結んでおいた方がよいでしょう。
さらに将来の認知症の発症に備えて任意後見契約も同時に結ぶことをお勧めします。

介護の限界

妻に先立たれた65歳のBさんは認知症を発症しました。当初は長男の嫁が献身的に介護していましたが、やがてBさんの症状が進行するにつれ疲弊し、介護を放棄してしまいました。長男も仕事を言い訳に見て見ぬふりでした。
Bさんはかつて「○△の人たちすごく感じがいいので、もしボケたら○△の施設に入りたい。」という希望を持っていたが認知症が進んでしまった今となってはその思いを伝えることもできません。

【対策】

もう手遅れですが、認知症が発症する前の元気な時に任意後見契約を結んでいれば、こんなことにはならなかったでしょう。
そうしていればもちろん希望である「○△の施設に入りたい」というのも契約に盛り込めました。